能登をゆく⑨ 放送


テレビをつけると、NHKのテレビ画面はまだL字です。AMラジオのNHKラジオ第1は、全国放送にカットインする形で、定時的に給水情報が流れます。また、自動音声システムを使ったライフライン情報も実施しています。北陸放送MROラジオは、AM送信の一部停止を3月末に予定していたものの、「いったん延期」をする旨を流しています。民放各局の情報は、民放連がまとめています。

【追記】気になっていたコミュニティFM放送「ラジオななお」の情報は、NHK放送文化研究所の文研ブログで紹介されています。地元ケーブルテレビには、七尾市が運営する「ケーブルテレビななお」があります。311の時は臨時局が開設されたりと、注目を集めた地元のコミュニティメディアですが、今回はあまり注目されていない印象があります。地元自治体がLINEでライフライン情報を発信するのが一般化したためでしょうか。

能登をゆく④ 珠洲


4日目は、最大被災地といわれている珠洲に入りました。見附島周辺は壊滅状態です。とりわけ、立派な黒瓦(能登瓦)の家ほど、押しつぶされている状況があるようです。家にお金をかける風習があるとのことでしたが、よくわかります。この瓦を、解体時に破棄してしまうのではなく、いかに回収・再利用の道をつけるのかが問われているように思われます。倒壊家屋が多いなか、今回の地震が元旦に起きたことで、犠牲者が少なかったという声もよく聞きました。正月帰省で若い衆が地区にいて、年寄りを避難・救出できたこと、お店が営業していなかったこと、などからだそうです。

旧・正院駅にあったノートを避難者に見せていただきました。

炊き出しが行われていましたが、お話を聞くとまだまだ少なく、3食冷たい食事の日が少なくないとのことです。1か月半を経て、まだこの状況であることをもっと深刻に考えるべきだと思います。トイレも和式、体育館での段ボール仕切りの生活が、何年たっても全く改善されない国の貧困さを感じざるをえません。13年前の3.11の時にイタリアの緊急対応制度が紹介されましたが、今回もまた、同じレポートが流れることを、行政も報道機関ももっと深刻に捉えなくてはなりません。珠洲では、1月中は北國新聞は配達されていたものの、中日新聞の配達は限定的であったようです(地区により濃淡があるので一般にいえるかどうかはわかりません。また、穴水では逆に、北國の配達は2月に入ってからとの話を聞きました)。

能登をゆく③ 穴水


三日目は、穴水町に入りました。金沢、志賀、七尾、穴水と半島を進むほどに、被害の大きさが一目瞭然です。市街地ではようやく水道が回復し、飲食店再開がニュースになっていました。下水道は、浄化槽を使用していた家は、水道不通の間も家のトイレが使用でき、ずいぶん助かったと話されていました。中日新聞穴水販売店は、震災5日目から配達を再開、住民からとてもありがたられたそうです。

中日新聞通信部は被災し使用不可に、北國新聞支局は大丈夫だったようです。赤札「危険」が張られると居住不可ですが、その建物自体は損傷がなくても、隣家が損壊可能性があると危険判定がされるため、いかに早く半壊住居を解体するかが求められているようです。仮設住宅の建設も始まっていました。

能登をゆく⑥ 原発


北陸電力の志賀原発は敷地内のメディア視察を一切拒否したままで、中で何が起こっているかは霧の中です。もともと震災前から、内部への取材は認めていなかったようです。志賀町は今回の地震で最大震度7を記録した場所でもありますが、原発のすぐ脇にはダイワハウスが開発したという別荘地が続いていて、高級車が並んでいました。

能登半島には30年前、もう1つの原発計画がありました。珠洲原発です。その建設予定地だった半島の先端・高屋地区は今回の地震の震央でもあり、「万が一」を考えると空恐ろしくなります。まだアクセス道路も仮復旧の状況で、海岸線は大きく隆起していました。それでも約30人が地区に残って生活をされています。住民運動の中心だったお寺も倒壊していました。地区入り口の反対住民の「見張り小屋」があったのは、バス停から見て右手奥の家屋でしょうか。

能登をゆく② 七尾


二日目は、志賀町、七尾市、能登町にはいります。お邪魔した北陸中日新聞七尾支局は、能登半島の取材拠点になっています。だいぶ片付いた資料室もまだ、地震発生時の時の大変さを感じさせます。

七尾の特徴は、一見、被災を感じさせない町の佇まいです。しかし、いま現在も多くの地区で断水が続き、日常生活を取り戻すことができずにいます。なんといっても大変なのはトイレ問題とのことです。1か月以上もトイレが使えない苦痛は想像を超えるものです。被災地最大規模の矢田郷地区コミュニティセンターでは、いまだ150人近くの住民の避難が続いています。ボランティアセンターも開設され、金沢からボランティアを運んでいます。ただし、全体としてボランティアの圧倒的な少なさが、1か月以上たった能登の大きな課題と言えるのではないでしょうか。あまりにも少なくて「異常」な状態です。県知事が仕切っていて各自治体や民間(VC=ボランティアセンター)に任せようとしないせいだ、との声がよく聞かれました。避難所を訪れた日は偶然、カタリバによるスガシカオのミニコンサートが開催されていました。2日間で6(4?)公演だそうです。

志賀町では地震被害とともに津波の被害もありました。

能登町ではスーパーがすでに営業を始めていました。