戦争報道


「表現の自由」連続講座の3回目は「戦争報道」です。戦争報道(危険地取材)の難しさと価値について、2時間半大いに語っていただきました。250人定員の教室ぎっしりに、学生ほか多くの方に集まっていただき、TBS中東支局長の須賀川さん、フリージャーナリストの綿井さん、貴重なお話大変ありがとうございました。ちょうど、39・51・63と一回りずつ歳が違いました。

・自分が実際に起きていることを現地でみることはできず、ニュースでしか確認できないため、真実かフェイクか見極めなければならないと思った。ジャーナリストは戦地に行き、兵士や現地の人と話し、そこで起きたことや亡くなった人々を撮ることは、簡単にできることではなく、またお金がすごくかかるため、そこで撮られたものは、私たちにとってとても貴重な情報であることが分かった。普段、テレビの映像では遺体などは流れず、ネットにたまに載っていることがあるが、今回、現場の遺体の映像を見て、この映像を見たか見ないかで、この戦争のとらえ方が変わるのではないかと思った。衝撃的な出来事であるために、報道が慎重に行われているが、真実を知るためには必要ではないかと思った。・報道はどこの誰のためにあるのかという話で、視聴者が見ることが前提だとしても、その視聴者が報道に関して考えるきっかけとなり、現地の人に支援をするなど、行動を起こせるようになるために、報道があるという話は感動した。・ウクライナでの戦争について、ニュースなどで大きく報じられているので知ったつもりになっていたが、現地の映像などを見て、自分が知っているつもりになっていたのは氷山の一角にすぎず、何も知らなかったといってもよい現実を知った。・ジャーナリストにとって、現地に行くことは当然であって、行かないことはむしろ恥であると感じるという。人のために自分が動き、情報を発信する――そんなジャーナリストの仕事はカッコよく偉大であると感じた。・フェイクニュースはゼロからフェイクを作るのではなく、「ファクトに基づくフェイク」を作り出して、信憑性を持たせていることを知り、フェイクニュースを見抜いてより正確で質の高い情報を得るためには、どういう意識で情報に当たるのが望ましいか教えていただいた。  といった多くの学生の声が寄せられています。