能登をゆく④ 珠洲


4日目は、最大被災地といわれている珠洲に入りました。見附島周辺は壊滅状態です。とりわけ、立派な黒瓦(能登瓦)の家ほど、押しつぶされている状況があるようです。家にお金をかける風習があるとのことでしたが、よくわかります。この瓦を、解体時に破棄してしまうのではなく、いかに回収・再利用の道をつけるのかが問われているように思われます。倒壊家屋が多いなか、今回の地震が元旦に起きたことで、犠牲者が少なかったという声もよく聞きました。正月帰省で若い衆が地区にいて、年寄りを避難・救出できたこと、お店が営業していなかったこと、などからだそうです。

旧・正院駅にあったノートを避難者に見せていただきました。

炊き出しが行われていましたが、お話を聞くとまだまだ少なく、3食冷たい食事の日が少なくないとのことです。1か月半を経て、まだこの状況であることをもっと深刻に考えるべきだと思います。トイレも和式、体育館での段ボール仕切りの生活が、何年たっても全く改善されない国の貧困さを感じざるをえません。13年前の3.11の時にイタリアの緊急対応制度が紹介されましたが、今回もまた、同じレポートが流れることを、行政も報道機関ももっと深刻に捉えなくてはなりません。珠洲では、1月中は北國新聞は配達されていたものの、中日新聞の配達は限定的であったようです(地区により濃淡があるので一般にいえるかどうかはわかりません。また、穴水では逆に、北國の配達は2月に入ってからとの話を聞きました)。