能登をゆく③ 穴水


三日目は、穴水町に入りました。金沢、志賀、七尾、穴水と半島を進むほどに、被害の大きさが一目瞭然です。市街地ではようやく水道が回復し、飲食店再開がニュースになっていました。下水道は、浄化槽を使用していた家は、水道不通の間も家のトイレが使用でき、ずいぶん助かったと話されていました。中日新聞穴水販売店は、震災5日目から配達を再開、住民からとてもありがたられたそうです。

中日新聞通信部は被災し使用不可に、北國新聞支局は大丈夫だったようです。赤札「危険」が張られると居住不可ですが、その建物自体は損傷がなくても、隣家が損壊可能性があると危険判定がされるため、いかに早く半壊住居を解体するかが求められているようです。仮設住宅の建設も始まっていました。

能登をゆく⑥ 原発


北陸電力の志賀原発は敷地内のメディア視察を一切拒否したままで、中で何が起こっているかは霧の中です。もともと震災前から、内部への取材は認めていなかったようです。志賀町は今回の地震で最大震度7を記録した場所でもありますが、原発のすぐ脇にはダイワハウスが開発したという別荘地が続いていて、高級車が並んでいました。

能登半島には30年前、もう1つの原発計画がありました。珠洲原発です。その建設予定地だった半島の先端・高屋地区は今回の地震の震央でもあり、「万が一」を考えると空恐ろしくなります。まだアクセス道路も仮復旧の状況で、海岸線は大きく隆起していました。それでも約30人が地区に残って生活をされています。住民運動の中心だったお寺も倒壊していました。地区入り口の反対住民の「見張り小屋」があったのは、バス停から見て右手奥の家屋でしょうか。

能登をゆく② 七尾


二日目は、志賀町、七尾市、能登町にはいります。お邪魔した北陸中日新聞七尾支局は、能登半島の取材拠点になっています。だいぶ片付いた資料室もまだ、地震発生時の時の大変さを感じさせます。

七尾の特徴は、一見、被災を感じさせない町の佇まいです。しかし、いま現在も多くの地区で断水が続き、日常生活を取り戻すことができずにいます。なんといっても大変なのはトイレ問題とのことです。1か月以上もトイレが使えない苦痛は想像を超えるものです。被災地最大規模の矢田郷地区コミュニティセンターでは、いまだ150人近くの住民の避難が続いています。ボランティアセンターも開設され、金沢からボランティアを運んでいます。ただし、全体としてボランティアの圧倒的な少なさが、1か月以上たった能登の大きな課題と言えるのではないでしょうか。あまりにも少なくて「異常」な状態です。県知事が仕切っていて各自治体や民間(VC=ボランティアセンター)に任せようとしないせいだ、との声がよく聞かれました。避難所を訪れた日は偶然、カタリバによるスガシカオのミニコンサートが開催されていました。2日間で6(4?)公演だそうです。

志賀町では地震被害とともに津波の被害もありました。

能登町ではスーパーがすでに営業を始めていました。

能登をゆく⑦ 交通


能登への大動脈は「のと里山海道」です。徐々に開通区間が増え、能登入りをした15日からは下り車線のみながら、穴水の手前まで行けるようになりました。これでアクセスはずいぶんとよくなり、金沢から輪島までほぼ2時間、珠洲までも3時間で到着します。ただし帰りは、いずれも下道(一般道)で戻る必要があります。鉄道も15日から開通区間が延伸しました。のと鉄道は能登中島まで、JR七尾線は和倉温泉まで行くことができます。ガソリンの高さも気になります。都内ではレギュラー160円ですが、金沢でも170円台後半、奥能登では180円台が当たり前です。国の補助の仕方に根本的な誤りがあるのではないでしょうか。

能登をゆく① 金沢


現地入りし、取材・報道状況をみてきます。金沢拠点で4日間。新幹線は、1か月後に控えた延伸準備が進んでいます。同じ駅待合室に、開業電子ボードと不通の案内が並んでいます。